理事長のお部屋
「子ども時代」を
失いつつある
こどもたちのための
信愛幼稚園
奈良譽夫先生は、理事長”ライオン先生”として、登貴子先生と一緒に引き続き信愛幼稚園を見守ってくださっています。
理事長より
わたしたちの幼稚園の教育理念は?と問われれば、
私は「こどものひとりひとりが持っている<かけがえのなさ>というものを大切にしたい。」と答えたい。
ひとりひとりのこどもの個性なり独自性の発見と注目、このような視点からこどもと交わり、その成長に仕えつつ、
こどもからも、学ぶべき事を学んで、共に成長しようという姿勢をいつまでも堅持したいと思っています。
わたしたちの幼稚園の園児について、よく
「おたくのこどもたちは、明るいですね」
という声をかけられます。
このような嬉しい評価は他にありません。
こどもたちがこのように生き、育ってくれることこそ、心からの願いです。
いくら知能に優れていても、もしそのこどもの精神の深いところで、
なにか人間として、明るく輝くものが欠けていては何もなりません。
幼稚園でこどもたちは、ひとりで遊ぶより、友だちをつくり、共に遊び学ぶ事の方がどれほど楽しいことかを、
自分の心と身体全体で学びつつ、人間社会についての基礎的な学びと経験を積んでゆくのです。
なお、このような教育を推し進めるために、
児童文庫「ぶどうの木文庫」(現在2000冊有余を用意)を設け、
こどもたちに本との出会いをおこす試みを行なっています。
こどもたちが本との出会いを持ち、本から語りかけてくる
様々な人間~生きとし生けるものの生や経験(喜びや悲しみの)に触れることによって、
みずからの内面にそれから何かを学びとろうとする姿勢や感性を育むことができるのです。
理事長 奈良 譽夫
えんちょうライオンって?
1981年のえんちょうライオンと先生、園児たち
前園長が29歳だった1969年(昭和44年)に、登貴子先生とご一緒に当園に就任しました。
当時、園長先生の髪型はふさふさしたまるでライオン(♂)のようだったのです。
1ヶ月に1回はすきバサミでカットするくらいだったとか。
当時の子どもたちに人気があった「怪傑ライオン丸」のタテ髪の雰囲気が似ていたということと、園を守る一番頼りがいのある強い人。強い人=キング(王様)、キング=ライオンという理由から、自然に子どもたちから「園長先生」ではなく「えんちょうライオン」と呼ばれるようになったのです。
「えんちょうらいおーん!」という元気な声が園庭に響き渡るのを聴くと、なぜだか周りにいる私たちの心がほっこりするのです。
きっと、卒園児の皆さんや、今まで園に関わった方々もみんな同じ気持ちになることと思います。
約半世紀たった今でも、変わらず私たちを強いチカラ(お心)と深い愛情をもって守っています。
【本とフォークソングとえんちょうライオン】
えんちょうライオンは歌う事がとても上手で、大好きです。若い頃から子どもたちの前だけでなく、同志社のコーラス部、キャンプ、母の会でギターを弾きながら、フォークソングやキャンプソングを歌ってきました。 ハレルヤコーラスの指揮も執ってきました。
当サイトで流れる「おあつまり」の曲たちもそう。 関西フォークが全盛期の頃からならした腕前で、おあつまりの時間に子どもたちと一緒に楽しく歌をうたい、心を交わし、時間を空間と共に共有しています。
カントリー調の軽快なリズムは子どもたちのハートを掴み、温め、協調を産んでゆきます。えんちょうライオンと過ごすこの楽しい時間を、今も昔も変わらずに、子どもたちも教員たちもみんながとても楽しみに、大切にしているのです。もちろん、歌う事が大好きになり、上手にもなります。 歌の真の意味をもってからこその教育として、信愛幼稚園には欠かせないひと時なのです。
本も同じで、子どもたちが本の中の世界に飛び込めるような場所と時間を作り、自由な世界観を想像・創造できるようぶどうの木文庫を作っています。
教育理念にもあるような子どもたちと本との出会いをこの貴重な年代に持つということがどれだけ大切なのか、当園の子どもたちをみればよく分かるのではないでしょうか。それは、えんちょうライオンが子どもたちの健やかなる成長を願ってやまない深い気持ちからのプレゼントなのです。